或る日記(仮)

業務外日誌。

ヒロポンが必要だ

元気が出ない。俺が思うに元気がでない原因としては以下のようなものがかんがえられる。

・生活が6時就寝11時起床である。太陽と社会のリズムに背を背けて生きるには多大な精神力を必要とするが、我が魂はその境地に至っていない。
オートミールばかり食っている。食事は我々のカラダをかたちづくるものであるが、この粉っぽい食事に元気の素が含まれているようには思えない。
・胃腸が悪い。新しい清潔な栄養が吸収されない一方で、老廃物は排出されずにわるいものが血中を駆け巡り続けているんだと思う。

上記原因を一つずつ取り除いて、やる気元気勇気!といった心境でつらい日々を生き抜いていきたいが
なかなか難しい。

ヒロポンで疲労をポンッと取りたいものである。

僕は圧倒的にうづきちゃん派です

晴れていたから,散歩兼昼食にでかけた。昼過ぎのことである。

たまには食堂もいいだろうと,ふらふらと大学の方へ向かい,生協食堂で遅めの昼食をとったあとに書籍部をのぞいた。以前より買おう買おうと思って買えていなかった文庫本が絶版になっていたことに気づいた。買おうと思ったときに買わなければだめだなあと思った。

 

書籍部の本棚をなんとなしに眺めていると,俺は読書量が少なすぎていけないよう思われてきた。本学書籍部の品揃えはおそろしく悪いので,この空間には,ごく限られた本しか存在していないはずである。それなのに,右をみても左をみても読んでいないものばかりではないか。フィクションノンフィクションを問わず,洋の東西を問わず,ぜんぜんだめである。

思うに,法曹は他人の生活に踏み込むような仕事だから,人一倍人間に詳しくならなければならない。そして人間の本質を探求するのが文学である。したがって,法曹にならんとするものは本を読むべきである。とくに私のような社会性に乏しい人間にはよりいっそうの努力が求められよう。

司法試験後は本をたくさん読もうと思う,今のままでは他人の人生を背負うことなど恐れ多い。

 

 

それはそうと,デレマスとてもよいですね。3話でうづきちゃんたち三人がバックダンサーとしてステージにとびだした直後にみたオレンジ色のサイリウムの海,ちょっと涙がでかけました。圧倒的な光景に,彼女たちのこれからの生き方,アイドルとして生きていくことが否応なしに方向付けられた,そんな瞬間なんだということだと思います。

うづきちゃんかわいいです。どこがかわいいかって?…笑顔です。

 

 

お察しの通り,前半で真面目な話をして照れくさいから,後半でアニメの話をしてごまかそうとしたのである。

冴えない俺は今日もアニメをみる

冴えない彼女の育てかた」、これはなかなかのダークホースかもしれぬ。一話をみてこれはつまらん最早みまいと思っていたけど、先週の録画の名残で録画された2話をみたらちょっとよかった。これは拾い物である。

ストーリーはまったくおもしろくないのだけど、フェチに訴えかけてくるところがある
OPみればわかると思うけど、そういう狙いのシーンが多い。カメラワーク?がいいといえばいいのか。会話のテンポ、センスもよくて、楽しい。
しばらくは視聴継続しようと思う。
 
 
 
今日は労働法の司法試験過去問を解いた。あいかわらず一人孤独に勉強しているから、出来不出来がイマイチはかれない。
ところで、労働法の採点実感はわりと軽々しく「「多数」の答案が言及していた」などという傾向にあるように思えるのだけど、受験生に与える影響を考えるともう少し言葉の選択に気を使っていただきたいものである。胃が痛いよ。
 
夜はルパンをみようかと思っていたのだけど,今日が金曜日であることをすっかり失念していて見逃した。大学院の授業も終わり,これから曜日は意識しないと自覚できないものになるので,気をつけよう。

深夜の日記

深夜3時をまわってから、雨の中、散歩にでかけていた。コンビニでタヴィンチという雑誌を立ち読みした。表紙に中村文則のインタビューが載っているとあったので興味を惹かれたのである。
中村文則は「何もかもが憂鬱な夜に」という小説に、死生観が変わるような感銘を受けてから、何作か読んだ。もっとも、「何もかもが〜」に感動したこと自体は覚えているし、それは決して小さなものではなかったのだけれど、俺は読んだ本の内容をすぐ忘れてしまうタチなので具体的なことはあまり思い出せない。読んだそばから忘れていくから、本を読んでいると、これは俺の中にちゃんと蓄積されているのか、と不安になる。すくなくとも、心動かされた事実だけはきっと残っているのだと思いたいものである。
インタビュー自体は、まあいわゆる新作の宣伝であった。人の生きる上でのよりどころとカルト宗教、といった主題のようで、どうやら俺好みっぽい。司法試験が終わったら読もうと思う。

家に帰り机の上に開いていた六法をみると、また現実逃避をしてしまったことに罪悪感をおぼえた。この時期に至っても、なかなか法律だけに向き合うことができない。

陽気なオタクが経済をまわす

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なるほど!!!それはグッドアイデアですね!

 

 

 

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喉元過ぎれば熱さを忘れるというけど,課金はボタンを押すまでは迷うものの,押してしまえばなんてことはない。

好きなコンテンツに対しては,積極的にお金を払うべきで,それはなぜかというとそうすることで,そのコンテンツ関連の市場が潤って,充実することになるからだ。それはけっきょくのところ市場において自分の好きな分野の比重が増えていくことになるわけで,まわりまわって社会を自分に最適な方向へ導くことになる。課金っていうのは,そういう極めて社会的な活動なんだよね。

そう…課金は人のためならず,である。

 

以上,課金のいいわけでした。たいした額ではないけど,電気代も払ってないのに,よくやるよほんと…。

 

今日は一日労働法のお勉強をしていた。倒産法選択の人が倒産法つらい関係の話をしているのをよくきくけど,労働法はそんなにつらくないので,選択科目としては正解だったと思う。

倒産法つらい関係の話をきくたびに,ああ,労働法の俺は勝ち馬にのったも同然や!ということで少々いい気分になるので,倒産法選択の人は倒産法つらい関係の話をたくさんして,俺をいい気分にさせておくれ~(ジョークですよ

 

ただ,労働法判例を読むにつれ,ああ,会社員にならなくてよかったという思いを強くする。

surfaceで更新すると動作が重く俺は激おこ

 試験的にブログのタイトルかんがえてみました。ちょっと恥ずかしいのですぐに変えるかも。

 

 春以降にどういった形で暮らしていこうか,という問題について去年の暮れからずっと考えている。私はこの春,大学院を卒業し,5月に司法試験を控えているのだが,司法試験の合格発表は9月,そして仮に受かっていたとしても司法修習という法曹になるための研修開始は12月,どうしたって,5月から12月までの身分が宙ぶらりんになってしまうのだ。その宙ぶらりん期間をどのように生活しようかというのがたいへん難しい問題なのである。

 選択肢としては,大きく分けて京都にこのまま残るのと実家に帰るというのがある。実家は兵庫県であるから,大阪で就職活動をするにしても支障はないだろう,実家に帰るのも有力な選択肢だ。

 しかし,欲望に忠実に考えるとこのまま京都で一人暮らしを継続したいというのがしょうじきなところである。京都での一人暮らしは非常に快適なものである。小金があればフィギュアやBDを買い,時間があればスクフェスや映画,アニメ鑑賞に興じ,深夜3時や4時という健全な人間はおよそ活動していない時間であっても興が乗れば鴨川の散歩に出かけ,デルタでなぜかそんな時間に一人で座っている若者と遭遇しお互いぎょっとする。本当に素晴らしい生活だ,究極の生活といってよいかもしれない(ただ,他人とかかわることが非常にすくないというのは一つ問題であるかもしれない。地球上には70億人ほど暮らしていて,特に日本には人類が密集して生活しているという噂があるが,それなのにこんなにも没コミュニケーション的日常を過ごすのはある意味キセキかもしれない)。

 しかしながら(二つの段落の冒頭がともに逆接であるというのは,キモチノワルイものであるかもしれないが,当ブログではそのような些細なことは気にしない),生活してゆくには先立つものが必要である。先立つものとは,これすなわちマネーである。お金がないのである。金は天下の回り物というが,不思議なことに24年の人生で私のもとへまわってきたためしがない。

 司法試験後に運よく仕事がみつかり,一人暮らしをしてゆけるだけの稼ぎ口が確保できればよいのであるが,私の社会性ではそれも難しいような気がする。自分を偽り,なんとか採用にありつけても,すぐ辞めてしまうにきまっている。自分を殺してまで小金を稼ぐなんてばかばかしいといった種類の反骨心(幼稚でしょうか)を私はいまだに持ち合わせているのだが,こんなやつにバイトがつとまるわけがない。

 そうやって,さまざまな事情(おもにお金)を総合考慮すると,これはいよいよ実家にかえるほかない,という気がしてくる。しかし,人生でもしかしたら残り少ないかもしれない自由な時間,それでよいのかという思いも捨てきれない,いや,しかし…

 悩みは尽きないのである。

 

 

 昨日は,授業で提出したレポート起案の返却があった。評価は「A下」と書いてあったので,もう一歩届かなかったのかと残念に思ったが,よくよくきいてみると,A下が一番上の評価だったらしい。30人ほどのクラスでA下は3人だったというから,驚きだ。年末年始は「お正月だからだらだらしてよい」という大義名分のもと,いつも以上にだらけて,レポートもあまり力をいれて取り組まなかったから,棚から牡丹餅といった趣である(提出日に,まだレポート書いてないのに焼肉食べ放題へでかけた記憶がある)。

 とはいっても,さいきん勉強面では落ち込むことばかりだったから,けっこううれしかった。

 その授業は平常点のみの評価であるのだが,私は授業中の発言は毎回ぼんやりとした受け答えに終始していたから,成績評価は期待できないと思っていた。このレポートでこれまでのマイナス評価がすこしでも相殺されればよい。

 

 

 あいかわらず日々の生活がつらいので,俺はラブライブの再放送を熱心にみている。今回は第3話で,ファーストライブの回であった。ステージの幕が開き,客席にだれもいないシーンは,事前にそういうシーンがくるとわかっていて,かつ,この後なんやかんやで超人気アイドルに成り上がるという顛末を知っていても,胃が沈む思いがする。しかし,実は会場に1年生および3年生が全員集結していたというところは,「―――これが,後のμ'sなのであった…」的な伝説の幕開け感があって,とてもいいシーンだなあと思った。

 でも,ライブシーンのCGはどうにかならんのかね。今回なら3人動かすだけだしオール作画でもいいじゃないだろうか。日本人にはCGは肌にあわない。

 

 夜のヤッターマンも期待以上におもしろく,今期は時間をもっていかれる。

 

 

 さて,更新しようと思って読み直したけど,ちょっと文体が暗いような気がする。自分を飾らずなんも考えずに書くと暗くなってしまう。次から気をつけよう。いっさい推敲せずに書くことが俺流なので書き直しはしない。

民訴は胃にクる

今朝は司法試験の過去問を書いた(解いた,と表現できないほどできがわるかったので「書いた」である。)。

平成21年の民訴なんだけど,もうね,ひどいものでした。

15分ほどで問題文を読み終わるもいったいなにを聞かれているのかすらわからない。いわゆる日本語でおk状態だった。なにを聞かれているのかはわからないけれど,こりゃ俺には解けない。それだけははっきりわかんだね。とても胃が痛んだ。

お昼からの勉強会では勉強会仲間たちに我が答案を晒して検討をすることになっていたのだけど,あまりにもなんも書けないし,こんな答案を晒して恥をかくくらいならもういっそ勉強会はすっぽかして,電車にのって海でも見に行こうかとおもった。海はいい。私は電車を乗り継ぎ,見知らぬ漁師町につく。漁師町は瀬戸内海に面していて,木造建築ばかりの平成とは思えない時代から取り残されたような風情である。海では白いワンピースを着た華奢な女の子と出会うと思う。きけばこの漁師町に住む漁師の一人娘だという。私はべたにも一目惚れをし,そしてなんやかんやいろいろあって,若い二人は恋に落ち,俺はこの土地で漁師として生きていくことを決意する。はじめは慣れない漁師仕事はたいへんだろう。朝はつらいし,船酔いはするし,手は荒れる。大学院あがりの俺には先輩漁師たちは野蛮に思え,なかなか馴染めない。しかし,司法試験と違い,海はいつでも頑張りにこたえてくれる。この身一つで食っていっている,そういう感覚が得られることが漁師仕事の魅力なんです。

 

閑話休題。つかれている。

 

今日の教訓は以下のとおりである。 

なにをきかれているのかわからないときは,自分の書ける範囲の基礎的知識から外堀を埋めていこう。背伸びして難しいことを書こうとしても成功する試しがない。

明日があるさ明日がある若い僕には夢がある,なので,これから肝に命じて努力していくことが肝要である。がんばろう。

 

しかし,あれだね,在宅でといてもこんなに胃が痛くなるのだから,本番でこういうことが起こると胃腸をすべて吐き出してしまうと思う(ちなみに人間の消化器の長さはだいたい10mらしい。気持ち悪いよな。

 

 

H/K(←「話かわるけど」の意。懐かしい)

久保ユリカがとてもかわいい。めっちゃyoutubeでみてる。

いやされる。民訴ができない日もとてもかわいい

動画貼っておこう



では,録画したSHIROBAKOみて勉強します。2クール目は高校の5人がサンジョでいよいよ集結する感じがしてわくわくするよね。おれはりーちゃんが好きだ