或る日記(仮)

業務外日誌。

人生足別離

μ’s ファンミーティングツアーの抽選発表があり,なんとか一公演だけチケットを確保できた。

俺が当選した会場のチケットはすぐヤフオクに出品されて,即決10万円で落札されていたから,かなりの倍率だったんだとおもう。さいきん運に見放されている傾向にあった俺だけど,なんとか“気持ちで”勝ち取った一枚だ。「気持ちで勝った」みたいなことばを多用する薄ら寒いスポーツ解説者は嫌いだけれども,やっぱりこれだけ強く願って,想って,祈って,当選を勝ち取ったときなんかには,祈りが通じたんだと言いたい。想いは祈りだ。想い続ければいつかμ’sにだって会えるのである。

シカちゃんに,そらまるに,ナンジョルノに,俺は,この夏,会うんだ。かつてないアツイ夏の到来の予感を胸に,なんともいえない多幸感につつまれた俺は,喫緊の課題である公法系の学力強化活動にも身が入るのであった。そう…あのニュースが飛び込んでくるまでは…。

 

俺の心を乱した犯人は以下のものである。

 


ラブライブ! サンシャイン!! スタート | 電撃G's magazine.com

 

 

まだこれだけじゃなにもわからないのだけど,予想するに,ラブライブ!を冠する新企画がスタートするようで,しかもそれはμ’sではなくて,違うキャラクターが主人公となる物語のようである。ネット上では,この中央にいる女の子は,スクフェスに登場するモブキャラである「支倉かさね」ではないかなどと言われているが,そんなことはどうだってよい。

 

俺にとってのラブライブはやはりμ’sありきのもので,新章がはじまることでμ’sが終わってしまうことがとてもこわいんだ。

 

新しい登場人物で新章ラブライブが開始したからといってμ’sが終わるわけではないし,新しい企画がはじまるのはそれはそれで楽しみじゃないか,オタクはやっぱり排他的で変化を嫌う,キモチワルイ生き物だなあ,とキミは俺を笑うかもしれない。

いや,しかし,すこし想像してくれたまえ。たとえば,だ。この新ラブライブが近い将来,同じように人気がでて,アニメ化されて,新しい声優もすごくがんばって,みんな魅力的で,ライブもファーストライブ,セカンドライブと成功をおさめるとしよう。そうすると,どうしたって,μ’sはかすんでしまう。このモンスターコンテンツ・ラブライブである。新しい声優は若くてかわいいし実力も兼ね備えた,けれどどこか荒削りな,そんな魅力的な新人声優ちゃんを揃えてくるだろう。一方で,現在のμ’sメンバーはどうしたって歳をとるし,新ラブライブが始動すれば,μ’sとしての活動も必然的に減っていく。ファンのこころもうつろうだろうし,だいいち優柔不断な俺だから俺自身の心だってうつろってしまうかもしれない。μ’sにいまくらい熱中できなくなってしまうのがおそろしい。

 

もっとも,コンテンツには必然的にいつか終わりがくるのだから,これは仕方ないことなのかもしれない。おれが歳をとるのと同じスピードでμ’sの声優らも歳をとるし,ファンだっていつまでも情熱を傾けられるわけではない。これは別企画があってもなくても同じことだろう。時期がはやくなるか遅くなるか,だけの違いである。そうであるならば,ここらで新しい企画をスタートというのは,歓迎すべきことで,「μ’sが終わっちゃうかもしれない,さみしいよお,新企画やるならμ’sでやってくれよお」なんてのは,原理主義者で老害で,声だけでかくて社会にはなんの貢献もしないオタクの,馬鹿なひとりごとにすぎないのかもしれない。

 

始まりがあれば,終わりも必ず訪れる。例外はない。これは万物に通底する原理である。

だとすれば,およそ社会において,すべてのものごとは,かわり続けざるをえないのだ。

 

唐代の詩人于武陵に「勧酒」という詩がある。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離

 

これについては井伏鱒二に以下の名訳がある。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

万物に終わりがあるのだから,別れはすべてのものごとに訪れる。我々が人生において出会うすべての喜びはその内在的制約として,いつかやってくる別れを抱えているといっても過言ではあるまい。

そうであれば,別れが訪れる前のこのひとときに,我々にできることはなにか。それは今目の前にある金の杯に,酒をなみなみと注ぐことに尽きるのではないだろうか。

そう,ラブライブになみなみと,情熱を,時間を,愛を,財貨を,二度と戻らぬ青春期の貴重な時間を,そそごうではないか!

 

人生足別離。さよならだけが人生だ。